中朝関係は血の盟友か
北朝鮮の核・ミサイル開発に脅威を抱く米国は、朝鮮半島近海に米原子力空母「カール・ビンソン」を派遣すると同時に、仲介を北朝鮮の庇護者である中国に期待していたが、5月3日の朝鮮中央通信は、「わが国の自主的、合法的な権利、尊厳、最高利益に対する深刻な侵害であり、長い親善の歴史と伝統を持つ善良な隣国に対する露骨な威嚇だ」と中国を強く非難した。
この北朝鮮の中国批判を受け、日本のマスコミ各社は朝鮮戦争を共に戦った「血で結ばれた同盟」が崩れたと報道した。
朝鮮戦争当時、ヤルタ、ポツダム会談の制約を受けているソ連に代わり、劣勢になった北朝鮮軍を支援するため100万を超える中国義勇軍が中朝国境を流れる鴨緑江を渡り、人海戦術で数十万の犠牲者を出しながらも、米軍を主力とする国連軍と戦ったのは歴史の事実であるが、停戦前も後も中朝間に安全保障条約の様な条約は無く、「血で結ばれた同盟」とは東西冷戦時の歴史的ヒトコマを過大評価して今日まで引きずっているのではないか。
北朝鮮はベトナム同様にアジアにおける東西冷戦の影響を受け、38度線を境に南が米国が支援する大韓民国、北がソ連が支援する朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)として誕生した。 このため韓国が米国の影響下にあったのと同様、北朝鮮も建国当初からソ連の強い影響下にあったが、北朝鮮指導者である金日成(キム・イルソン)は60年代から表面化した中ソ対立を巧みに利用する外交手腕を発揮、自主独立の道を模索した。
ところが80年代に入り鄧小平の改革開放政策が進むと、政治イデオロギーを超えて経済が優先され、89年の東西冷戦の終結、91年のソ連崩壊によるロシア連邦の成立、92年にはついに北朝鮮の宿敵である韓国と中国との間に国交が結ばれるに至り、日本のマスコミが報じる「血で結ばれた同盟」は崩れた。
ちなみに今日の中国にとっての朝鮮半島に対する注目点は、核・ミサイル開発問題もあるが、統一朝鮮が出来た場合を含めて北朝鮮と韓国の情勢が吉林省延辺朝鮮族自治州に住む朝鮮族200万に与える影響が関心事となっている。
※参考
中国が朝鮮戦争に派遣した「義勇軍」の大半は、元々国民党側に属していた兵士であり、当時の中国共産党の指導者毛沢東は彼らを不穏分子と見做し、朝鮮戦争において彼らを人海戦術の消耗品として近代戦争の渦中に投入したのである。
その証左として、53年に停戦協定が結ばれた後に、捕虜となった中国義勇軍約2万1400人の内、約3分の2を占める約1万4000人が中華民国(台湾)への亡命を希望したのは有名な事実である。