オリンピックを志ある大会に
国会を数十万のデモ隊が取り囲んだ60年安保闘争の混乱からわずか4年後の1964年10月10日、アジア初のオリンピックが東京で開催された。
2020年の東京オリンピック開催を4年後に控えた今日、築地の移転問題に絡んだオリンピック関連道路の建設の遅れなど、競技会場の建設、整備だけでなく、各種インフラ整備の遅れなど様々な問題が山積され、予定通りの開催が危ぶまれている点が、1960年当時の状況とよく似ている。
但し、当時の人々と今日の我々とのオリンピックに対する意識の違いは、「志」があるかないかの差がある。
敗戦とGHQの占領下から抜け出した日本が尊厳と自信を取り戻すためにも、世界が注目するオリンピックは、国際社会に日本の復活をアピールする絶好の好機であった。
このため、オリンピックに携わった人々の志は高く、経済的利益を度外視してでもオリンピックを成功に導こうとする高い使命感があった。
例えば、十河信二(そごう しんじ)第四代国鉄総裁などは、日本の鉄道技術の高さを世界にアピールするため、技術の粋を集めた東海道新幹線を走らせたいとの思いから、辞任と引き換えにしてでも東京オリンピック開催に合わせて、時速200キロを超える超特急を走らせたいと願っていた。
建設のための総工費が当時としては膨大な約3000億円かかると見積もると、あえて半分に削って国会に上程し、内外の反対を押し切り、建設を強行し、オリンピック開会の9日前に東海道新幹線を開業させた。
当然、国会と国民を欺いたことには間違いないが、時速200キロを超える「夢の超特急」が走る東海道新幹線の開通は日本の技術力の高さを世界に示し、今日の外国への新幹線輸出の礎となったことは事実である。
しかし、2020年の東京オリンピックでは、膨らむ競技関係施設の建設費に対して、明確に答える者も無く、ただ高額な請求書を国民に押し付けているに過ぎない。
豊洲新市場の汚染土の処理問題や国立競技場に代表される各種競技施設の建設問題に関係する報道を見てみると、責任者さえ明確でなく、50年先、100年先を見据えたビジョンが見えてこない。
オリンピックのように多額の税金を投入する一大イベントでは、崇高なビジョンが無いと国民が納得しないし、国や業界団体、そして企業の力を結集することが出来ない。
1964年のオリンピックを経て日本は目覚ましいい経済発展を遂げたが、その陰で経済的利益以外の「志」という何か大切なものを忘れているような気がしてならない。