日本生活問題研究所(日生研)のあゆみ

創立時のメンバー

この法人は終戦の年、昭和20年12月に設立されました。
終戦直後の日本は食糧難に喘ぎ、餓死者が出る程の深刻な飢餓状態にありました。

東久邇宮稔彦内閣の内閣顧問となった賀川豊彦は、迫り来る厳しい冬を前に占領軍のアメリカ政府に対して食糧支援を申し入れました。返答は具体的なデータを報告せよというものでした。敗戦によってあらゆる行政組織が大混乱し、国民は虚脱状態にあり調査など不可能と思われました。
しかし賀川は食糧援助獲得の為のデータづくりを決意、同志を糾合して、この「日生研」を設立しました。
そして、日本で初めて、民間人の手による「国民の栄養状態及び食糧事情」の実態調査が行なわれ、占領軍に報告されました。この報告の基礎データによって海外からの食糧援助が実現し、餓死者を回避することができました。そして、総額20億ドルに及ぶ通称ガリオアエロア資金付与へとつながっていったのです。(占領地域救済資金・占領地経済復興基金)
昭和26年まで続けられたこれら資金の6割以上が小麦や米などの食糧輸入にあてられて戦後日本人の生活危機が救われ、戦後復興の原動力となったのです。

昭和40年代に入ると設立当時の主要な理事があいついで他界、やがて日本は高度成長の道を驀進する事になり、事実上の休眠状態が続きました。

昭和54年、設立時の主要メンバーの一人であった竪山利忠の意を受けて福田博幸が理事長に就任、「設立の志」を引き継ぐべく私財を投じて再建にあたりました。厚生省時代は公衆衛生局、厚生労働省になってからは健康局所管の公益法人として指導を受けながら、「保健医療情報センター」を開設、団体会員を対象としたダイヤル健康相談サービス事業や、法人会員を対象とした睡眠時無呼吸症候群患者の早期発見を目的とした簡易検査サービスなど、国民の健康にかかわる事業を行ってきました。

平成24年、公益法人改革法の施行を前に、「継続は力なり」を合言葉に、一般社団法人への移行を理事会で決議しました。