71回目の終戦の日を迎えるにあたり

今年も8月15日で71回目の終戦の日を迎えるが、ポツダム宣言を発した米、英、支、ソの4か国は、横須賀港沖に浮かぶ米戦艦ミズーリ号で降伏文書に調印した9月2日を軸に米、英は2日、中国(当時は中華民国)とソ連は、翌日の3日を戦勝の日としている。

一方日本では、昭和天皇がラジオ放送を通じて全国民にポツダム宣言受諾の詔書を読み上げた8月15日を「終戦の日」として毎年、天皇、皇后両陛下をお迎えして、「全国戦没者追悼式」を東京九段の日本武道館で行うことが、終戦の日の行事となっている。

しかし、戦後最初の戦没者追悼式はサンフランシスコ講和条約発行を契機に国を挙げて戦没者を追悼するとして、昭和27年4月28日の講和条約発効・独立後の5月2日に新宿御苑に天皇、皇后両陛下をお迎えして行われた。第2回目は厚生省が主催で昭和34年3月28日に千鳥ヶ淵戦没者墓苑完成にともなう施工式と併せて追悼式を行うなど、8月15日とは関係なく追悼式が行われていた。

現在のような8月15日開催は、昭和38年5月14日の池田内閣による閣議決定で「今次の大戦における全戦没者に対し、国をあげて追悼の誠を捧げる」として8月15日に日比谷公会堂で政府主催による全国戦没者追悼式が実施され、翌昭和39年には靖国神社境内、翌翌年の昭和40年からは日本武道館での開催となり、以降、8月15日に毎年追悼式が慣例的に行われていた。

さらに昭和57年4月13日、鈴木内閣の時に「8月15日を先の大戦において亡くなられた方々を追悼し平和を祈念するため、戦没者を追悼し平和を祈念する日を設ける」とした閣議決定で初めて8月15日が「戦没者を追悼し、平和を折念する日」と正式に決められた。

「ゲゲゲの鬼太郎」を描いた漫画家の故水木しげる氏は、先の大戦を評して「国民は日本が戦争に勝つとは思ってなかったが、負けるとも思ってなかった」と曖昧な言葉で当時の状況を述べていた。    

もともと日本人は争いを好まない民族である。そのため、世の中に存在する本音と建て前の狭間の中で、唯一の平和的解決方法として「ちょっとそこまで」といった曖昧な答えや返事をすることで調和を取ってきた。

その曖昧さの中で生きてきた日本人にとって、天皇の玉音放送により、空襲の恐怖から解放された日は、9月2日の降伏文書調式よりも平和の実態感がある。したがって誰となく8月15日が「終戦の日」あるいは「終戦記念日」として国民の間に広まったようだ。

しかし、忘れてはならないのが、二つない祖国のため、二つない命どころか妻や子、親兄弟までも捨てて懸命に戦い国の鎮めとして死んでいった、兵士たちの無念さと祖国に向けた熱い思いである。

71回目の終戦の日を迎えるに当たり、三好達治の詩「おんたまを故山に迎ふ」を今一度読んでみよう。

還る日も なくいでましし かのつわものは ふたつなき 祖国のためと ふたつなき 命のみかは 妻も子も うからもすてて いでましし かのつわものの しるしばかりの おん骨はかへりたまひぬ